偏差値80の大学生のブログ

東工大の院生です。浪人時代に模試で偏差値80を取得しました。基本的には浪人時代のことについて書いています。

偏差値80をとるまで(前編)

               1 はじめに

まず、言っておきたいことは、勉強において超短期間で結果を出すことは難しいということです。

 

私は偏差値60~70程度の公立高校に通っていましたし、中学の時も高校の時も定期テストごとにコツコツ勉強していました。

 

それでも、浪人時代に実践した勉強法は、現役時代の勉強法より優れていると思いますし、どのようなレベルの人にでも通じるものだと確信しています。

 

さあ勉強をしよう!!というときは、必ず、自分がいまどのレベルにいるかということをしっかり把握しましょう。中学の勉強をさぼってきたという人は中学の勉強から始めるべきです。

 

科目によって自分はどのレベルにいるのか、どの程度できるのか、まずそれを知ることが大事です。

 

勉強は小学校からの積み重ねで成り立っています。

 

やり直すことはとても労力のいることです。

 

しかし、やり残してきたのは自分と思えば、少しは頑張れるのではないでしょうか。

 

それでは、私がいかにして偏差値80をとることができたのかについて話していきたいと思います。

               2 現役時代編

               2.1 高校2年生間までの過ごし方

高校時代、勉強することが嫌いではありませんでした。

高1から高2の途中までは部活をやっていました。高校に入ったときから、ドラゴン桜に触発されていた私は東大を目指していたので、勉強は普段からそこそこしていて、部活のないテスト前にはしっかり勉強しました。

しかしながら、高校1年のはじめての中間テストの結果はクラス40人中20位。…中途半端な順位ですが、私の高校では、中学の時はオール5だった人がわりといたので、自分の中では上出来だと思っていました。(ポジティブ)

その後もコツコツ勉強を続け、高校1年の進研模試では英語と数学で70代後半をとることができました。国語は苦手だったのでいつも偏差値40~50でしたが。

高校2年からは駿台予備校に通い始めました。そのころは英語が得意でさらに成績を伸ばしたいと思い、週一回だけ英語の授業をとることにしました。

そして受験のモチベーションがどんどん上がってきた私は、こう考えました。

 

「理系でも東大行くなら国語やセンター対策はしっかりしないとな」

 

これが浪人して東工大に受かってから一番後悔した点です

これは別に東工大だとセンター試験の結果が全く関係ないからというわけではありません。当たり前ではありますが、東大でも京大でも理系ならまずは理系の勉強を優先すべきということ後々知ることになるのです。当時の私はこれに気づくことができませんでした。

 

受験意識の高かった私は、高校二年の秋ごろから、理系であるのにもかかわらず倫理政経や国語のセンター対策を重点的に始めました。

これは決して悪いことではなく、実際、現役の時はセンターの倫理政経は84点で、特に対策した国語の現代文も94点取ることができました。

できたんです。

しかし私は他の理系科目を犠牲にしていたのです。高校3年でも、国語社会は自分で頑張って勉強していました。古文も漢文もセンター試験では失敗しましたが東大の二次試験で出るので、しっかり対策しました。

普通、理系なら理系科目を第一に頑張ると思います。しかし東大となると、普通のことをしても受からないのではないかという思考に私は陥っていたのです。

これが現役時代最大の失敗でした。

               2.2 高校3年

受験期になり、毎日学校が終われば予備校の自習室にこもり、夜9時まで勉強していました。

それでも、高校3年の8月の東大実戦模試でも全く良い結果が出ません。当然です。理系科目の対策が遅れているからです。

11月に入ってもE判定ばかりで、さすがにやばいと思った私は、第二の選択肢として予備校のスタッフから提案された京都大学を考え始めました。理由は簡単です。私はもともと旧帝大志向でしたし、京大なら今までやってきた国語やセンター対策が無駄にならないと思ったからです。

11月の東大模試は河合塾駿台もどちらもE判定の下のほうでしたが、急遽受けることになった京大実戦模試は農学部D判定でした。この判定を見た私は、水を得た魚のように「京大なら受かる」という考えにたどり着きました。(D判定なのにポジティブ)

               2.3 高校3年(直前期)

直前期は、ただひたすらに過去問や問題集を解いていました。

志望校を京大にシフトした私は、今まで解いていた東大の過去問を棚の奥のほうにしまい、京大の過去問を中心に難関大受験レベルの演習問題をがむしゃらに解いていました。過去問はやはり難しいです。自分の得意な分野は解けても、不得意な分野は全然解けません。私の場合だと、物理なら電磁誘導は得意でしたが、コンデンサーの問題は不得意でした。数学なら、微分積分はある程度得意でしたが、整数や確率の問題は不得意でした。

そうです、1月になっても、理系科目の不得意分野を克服することができていなかったのです。

ですが、直前期なので、とにかく多くの問題を解きたいという気持ちが先走り、わからない問題はあやふやにして理解したつもりになり、解ける問題を解いて満足していました。勉強はしていましたが、この繰り返しでは、入試で不得意分野が出てきたときに困ってしまいます。

               2.4 現役時代受験本番

受験本番は今から考えればあやふやなままに迎えました。

当時は毎日勉強もしているし、ぎりぎりで滑り込みで入れるのではないかと思っていました。しかし、入試は甘くありませんでした。運も悪かったのですが、受験した大学すべて(早稲田創造理工、京大前期、北大後期)で苦手分野のコンデンサーの問題が出てきました。

 

「これはやってきてない。自分がやらずに放置してきた分野だ。」

 

それでも入試の時は、全力を尽くしました。

               2.5 合格発表

当然ながらすべて落ちました。

 

数学はいつも模試やテストでケアレスミスをしていました。受験本番でもケアレスミスをしました。ぎりぎりで滑り込めるのではないかというのは、自分がケアレスミスせず、試験中に最大パフォーマンスを発揮できたことを仮定していたんだと思います。つまり、自分のベストオブベストが合格最低点に引っかかればいいな状態だったのです。

 

 

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